正社員では無くパートへ

給与・待遇に比例しない責任がなぜ正当化されるのか - 脱社畜ブログという記事を読んだ。
確かに,責任が給与・待遇に比例しないならばもっともだと思った。
でも私はそうではなく,実際に給与・待遇が責任に実際に比例していない,言い方を変えれば仕事の割に給与が高すぎる実態があるのかもしれないと考える。

今,日本ではデフレ状態だ。つまり物価が低下している。それに比べて給与は横ばいだ。一方で職につけない,給与自体をもらえない人も増えている。
デフレということは,安く過剰にモノが供給されているということでもある。どこからといえば給与が安い海外からだ。

日本の高い給料体系を単純に適用すると,同じ金額では同じ品質のモノを作れない。だから正社員を増やせない。増やせないから一人の社員に対して過重労働となる。その分新規採用はできない。だから職に就けない人が増える。
高い給与を維持するために,それに本来見合った内容の仕事・責任を少数の人数に集中させている。ワーキングシェアとは逆だ。

一方,パートと呼称しているが,これが9割を占めるとなると実質上,一般社員だ。ただ,これまでのいわゆる正社員に比べると給与体系が圧倒的に安い。安いが,それでも人材が集まるならば,それらの集まった人たちにとっては仕事の内容に見合った給与といえる。で,人が集まらなかったり,言い方はなんだが無能な人ばかり集まったり,すぐに辞めていく人が圧倒的ならば,それは仕事の内容に対して給与が実際に安すぎるのだろう。やりがいとか魅力ある仕事を与えるというのは,安すぎる給与を補填する手段の一つ,別の形の報酬であるとみなせばよい。
まだ過渡期なので他社に対して先んじてこのようなオプションをつけないと人が集まらないのではないかと想像する。

要するに,現行の給与体系を強制リセットかけているようなものだと私は考えている。
一方で従来の高い給与をもらう従来の正社員というのは,特殊な技能をもち高い能力を持つことをますます要求されるようになるはずだ。で,そういう要求に応えられなければリストラ対象にならざるを得ないだろう。そして給与は下がるが物価も下がる。

経済のグローバル化が言われて久しい。要は世界規模の均質化だ。モノも情報も国家間の障壁なく流れていく時代,世界中に同じものが同じ価格で出回るようになる。給与が安い国は次第に給与が上がり,逆に高い国は下がっていく。最終的には個人単位で技量を持つ人は高い見返りがあるし,技量ないものはそれなりの給与しか得られない。
これが何年先かはわからないが,そんなに遠くない未来のことなのかもしれない。