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それでも製造部は物を作らないといけないし、売らないといけない。
印刷して貼り合わせた大きな東北・関東近辺の日本地図が職場に置かれた。
どこの経路が寸断されているか、どのように迂回しなくてはならないか、刻一刻と情報が入ってきた。地図に情報が書き加えられていった。原発を中心に半径30kmの円が引かれた。地図を見ながら、戦略ゲームとか戦争の司令部みたいだと不謹慎にも考えていた。
被災地に近づくほど給油できなくなるので、物を運ぶことができてもUターンしてトラック便が帰って来れない状況だった。静岡でも給油が難しくなってきた。こんな状況では被災地に救援物資を運ぶことすらできないじゃないかともどかしく思った。
なによりもトラック運転手が、関東方面に行きたがらない。

納入だけではなく、逆に原料供給も滞り始めた。ここから先、原料の代替品切り替え作業に忙殺されることになる。2週間ごとに新たに判明する供給不安問題。
直接被災した供給元だけでなく、被災地から供給を受けていた製品を用いた製品の供給元、といった感じで、子、孫、ひ孫供給元という風にどんどん波及範囲が広がっていった。日本の産業は、網の目のように細かく繋がっているんだと実感した。

自分たちの地元が被災したらどうなるか、何度も考えた。
津波の被害がどこまで広がるのか、国土地理院の地図で細かい標高を確認したり、過去の東海地震で発生した津波記録を調べた論文を見たりした。子供たちをどうやって守るのか、そればかり考えた。そして、今現状の放射能汚染のリスクについても考えた。
どうすればいいのか、まだ結論はでていない。