本を読むとは

最近、市立図書館通いをしている。
規模もあまり大きくないので、蔵書の量も内容も、やや物足りなくはあるのだけれども、最近は割り切ってしまって「本屋で手に取ってみても絶対に買わないであろう」本をあえて借りている。

当然7割方は失敗なので最後まで読む気力もわかず適当にパラパラと拾い読みして返却。これが自費で購入していたら後悔すること間違いないが、いくら借りても懐は痛まないので3割「も」当たりに出会えりなんて、なんて幸せなんだとすごいオプチミストになることができる。

とはいえ、だんだんと当たりに会えなくなってきた。もともと少ない蔵書で、かつ自分の興味を引く本なんてそんなに多くは無いのかも。…いや、よくよくみれば興味を引く本はまだまだあるのだが、最近は人の思想がにじみ出た本を読むのがおっくうになってきている。

どんな事象にも裏表がある。ところがある人の主張を読むとだんだんそれが真実で他のことが嘘のように思えてきてしまう。それなりに年も取ってきて自分の主義主張が固まってきているから、それを補完するような本をつい読みたくなってしまい、よけいに自分の主張が固まってしまう、他の意見を書いた本は読むのもおっくうになっている。もともと読書なんて最大の暇つぶし娯楽だから、わざわざ自分の嫌いな主張を読む気にもなれない・・・・とまあ、こんな感じで下手すりゃどんどん陰謀論の方に自分の思想が傾きそうなのがちょっと、ね。

というわけで結論は無い。
暇つぶし一つするのもたいへんだという話。