昨日の記事についてのお詫びと補足

昨日の記事について予想外の反応が返ってきたので戸惑ってしまい自分の書いたものを読み返してみると,たしかに誤解を招くというか言葉が足りない部分があったので補足し,かつミスリードを招き特にリンク先の方々には不快な思いをさせたことについてお詫びいたします。

まず,私が「釣られて吠えている」かつ「普通の人」と考えているのは,「元記事を確認もせずにタイトルだけで情報拡散を行っちゃうような,ネットリテラシーが低い人。」本件では主にTwitter虚構新聞の記事を本当の事として拡散させていった人達を想定しています。リンク貼らせていただいた先の,ブログに自分の論説をしっかり書くような両氏のことではありません。
もちろん,両氏が本気にしてリツィートもしてだまされたのに気づいて怒ってあれらのエントリーを書いたとかと私が勝手に思い込んだなんてこともありません。というか私,何も考えていませんでした。それで結果的に複数の方に不用意に反発を招いただけと反省しています。

で,以下補足というか、昨日の記事書いた元の考えをいろいろと。

ネットリテラシーとかTwitterとか

ネットは誰でも情報を発信できますので当然,その情報個々の信憑性は低くなります。販売して対価を得ている商業誌などに比べれば,個人が背負わなければならない責任は相対的にごく小さいものですし,その分だけ情報を受け取る側の責任が増加するのは避けられないと考えます。
しかし逆説的ですが,誰でも情報を発信できるというこの特性のために,多くの情報を相互比較することで個々の情報の信憑性を確かめることも可能で,全体としては情報の確度を上げることができます。つまり問題を解決するための手段も同時に提供されているのです。

とはいえ,個々がネットリテラシーを上げ,これらの解決手段を用いて記事をすべて確認しなくてはいけないなんて事は,口では簡単に言えますが,知識も経験も判断力も必要です。技術に興味ある限られた人のみが使っているうちはまだしも,現在のようにここまで社会にネットが浸透した状態では「普通の人」が多数参加しており難しいのが実情と考えています。

そしてTwitter。便利で手軽なサービスです。
手軽すぎて始めるための障壁が低くこれまた「普通の人」が多く参加しやすいです。しかもTwitterは不特定多数の人に情報を発信するブロードキャスト的な特性が強いため,ネットリテラシーなんて考えてもいない人が不用意に誤った情報または流すべきで無い情報を鼠算的に拡散してしまいやすい。Twitterが「デマッター」だの「馬鹿発見器」だの言われる所以だと思っています。
で,今回も同様に偽情報流してしまい,そういう人たちが一部で叩かれて,逆に吠えついた,と。この手の騒動自体は過去に何度も繰り返されているものであり,殊更どうこうというものではありません。

でもね,虚構新聞相手だけでなく,いろんな嘘情報・デマ情報によって何度も繰り返されているんですよ,これ。今回が初めてじゃないんです。ここがまず私には引っかかっています。臭いものは元から絶たなきゃ駄目といいますが,元記事の発信場所ではなくこの構造自体を先になんとかせなならんのではないか,と。

で,両記事にリンクを貼ったのは

  1. 今回の騒動をよく俯瞰していて把握しやすかったから。
  2. 単に,はてブ人気エントリーで出てきたので読みやすかったし自分も貼りやすかったから。
  3. ところがそこで述べられている論調が私の意見とは異なったから。

です。私の読解力が壊滅的に低いのでなければ「一次情報源の虚構新聞が,このような情報を出すのが(または出し方が)今回の一番の問題である。」という主張と読み取れました(まあ,これもあまりにも大雑把な要約なので違うと言われても仕方がないです。元記事見ていただいた方がいいかもしれません)。
そして私にはそうは思えなかったので,前エントリーを書いたのです。

何を書いたら悪いのか,何を書いてもいいのか

虚構新聞はある意味良心的とも言えます。嘘であるという情報を判りにくくではあるが中に入れており,ここが冗談か否かのぎりぎりの線引きでしょう。線を引く位置についての問題は,状況や個々の感覚によって違うとは思いますし枝葉末節議論に陥りやすいのでここでは言及は避けます。まずは有るか無いかで。

しかしその一方で,ネットに限らず嘘を完全に本当の事として語る人も多いです。
また煽情的な記事のタイトルはたしかに嘘は言っていないが本当の事とも言い難くです。しかしそのようなアオリのタイトルが率先的にRTやらRSSやらされている実情。
巧妙な嘘やミスリードを誘う文句は,検証の手段が無い場合には次第に広まり,やがてそれが本当の事として定着してしまいます。某隣国の将軍様が行っているような情報統制はこれまでいつの時代でも有効でした。
しかしながら,いまや我々はネットという検証のための強力な手段を手に入れました。個々人の単位で簡単には騙されなくなったのです。

しかし個人個人が検証できるからといっても,嘘をいうのは絶対ダメ,本当の事を言え,というような判りやすい正義は気持ちがいいものですが,往々にして過失を許さなくなりがちです。間違ったことを故意でなく発言しても悪になります。過失が許されなくなると,不用意な発言・発信ができなくなり,統制された情報のみが発信されるようになったら,現在のネットの強力な検証能力は失われてしまうでしょう。
もちろん詐欺などの犯罪行為はダメです。でも日本は法治国家です。NGか否かの線引きは法律によって規定されるべきですし,明確な犯罪行為以外は,嘘を発表することも表現の自由の元に保証されています。
以上のように「嘘情報を流すべきでない」という論調には,私は諸手を挙げて賛成はできません。

とはいえ,これらの嘘が悪意をもって,または善意でも不用意に広められると,当初よりもずっと大きな影響力を及ぼしてしまうことがあります。また最近ではTwitterという便利でまた破壊的なツールがそれを助長して何度も騒動がおきているとも思います。
ではTwitterを規制すればいいかといえばそうとも思いません。どうせ新しいツールがすぐに表れます。Twitterが破壊的な側面があるということがそれなりに知られているだけ,まだずっとマシです。

で,結局どうすればいいのか

以下は当然私の考えです。

理想的には,ネットを使用する全員がネットリテラシーを向上させることですが,到底無理でしょう。免許制など言語道断で,検証機能がますます低下します。
でも啓蒙を続けることで能力を高めた人を一定割合以上に増やすことはできます。

また,「普通の人」に向けては,Twitter(現時点での抜群の破壊度と有名度でTwitterを名指ししていますが他の類似サービスでも同じことです)は使い方によって危険な面があるよ,とピンポイントで啓蒙を強化する方が効率的です。少しでも連鎖が途切れれば拡散速度は格段に低下します。

1次情報発信元は,前述の理由から安易に規制するべきではないと考えます。それに付随する情報統制の危険に比べれば害はごく小さいと考えます。また地下に潜ってしまうより,世間の目にさらされ続けるほうが監視もずっとしやすいです。

また,間違った情報が無制限に拡散するのを防ぐ相互の協力や自助努力が必要です。
リテラシー能力が高まった人ならば,早期に情報を真偽を確認し,情報拡散の連鎖を断ち切ることができます。でも,本気で連鎖を切ろうと思うならば叩きは駄目でしょう。というわけで全エントリの文章は自分で反省。

そして「普通の人」も含め,「オレ,嘘に引っかかっちゃたよ〜」と笑って飛ばせる余裕が社会に欲しいです。これが大人の対応だと私は思います。余裕がない人はすぐに怒ってしまいます。こういう人が増えると,子供の目の届かないところに何でも隠すように,いろいろ規制が進んでいくと私は考えています。

ま,「あれは嘘だ!けしからん」ではなくて,「みなさ〜ん,あれは嘘ですよ。」とみんながやんわりと,でも常に指摘し続けるのがいいんじゃないの,と思っていて。

東スポなんかは新聞メディアでその言われる側の域に達しているのが,おもしろい,と。
でもネット上の個人サイトでは,東スポのレベルまでほとんど誰もが知っているような普遍的な存在にはまず成れないだろうな。今後とも。