化身と実身

 元ネタ忘れてしまったが,某有名作家の娘が,自分の父の作品が教科書に載っていて,「作者はこのときどういうふうに感じていたでしょうか」という問いに対して,本人に聞いたところ「締め切り前で苦しかった」と言われたので,そのとおりテストで答えたら×を貰った・・・ってのがあった。誰のエピソードだったっけ?

 このような事実をもってして国語の問題なんて意味が無いと言い切る輩が後を立たない。しかし,である。不思議な事にあのような設問において同様な答えを導く人の方が圧倒的に多い。
 もしも本当に的外れな設問であれば解は無いのだから,無理やり回答したとして100人の答えは100通りになるだろう。マークシートの五択問題ならば,20%ずつ均等に振り分けられるはずだ。
 しかし実際は,正答と見なされる答えをあきらかに有為な差で多くの人が導き出す。

 もともと私はあの手の問題は得意な方だ。かつて家庭教師もどきを行った近所の子に,なんでこの答えになるのかというのをいちいち説明して見せたこともあったが結局理解してもらえなかった。自分にはそうとしか読み取れないのだが,わからない人には文書同士がそこで繋がること自体が理解できないらしい。これがいわゆる読解力の差というヤツなんだろう。
 
 自分の中学の担任の国語の先生が,ぽつりと「でもねえ,中学までに読む能力ってほとんど決まっているんだよねぇ」と私に漏らしたことを思い出す。自分の仕事が無駄であると告白しているようで妙に印象深かった。

 で,「作者はどのような事を感じたのでしょう」なんていう設問における「作者」というのは,じつは非常に単純化,理想化された存在なのではないか。作家といえども食うために文書を書いているわけだからして,作品を作るにあたってもそりゃ雑念の方が多いに決まっている。決まっているが雑念だけで高尚な作品が作れるかどうかといわれると,作れないだろうしなぁ。

 だから,設問が不適切というのならば,たとえばこのように変えればいい。「このとき,最適化された作者はどのような事を感じたのでしょうか」。つまり,設問でいわれるところの「作者」とは,あくまでバーチャルな存在なのである。

 「最適化作者」「理想作者」「仮想作者」「化身作者」「バーチャル作者」・・・もっとしっくりくる表現は無いものかな。