敬頌新禧2016

新年明けましておめでとうございます。新年快乐。
早いもので中国に赴任してから丸2年が経過しました。人間の時間間隔はそれまで生きてきた時間との相対で決まるという見解がありまして、つまり時間感覚の長さはこれまで生きてきた時間に対して反比例するので、40歳の1時間は20歳の1時間に比べてほぼ2倍の速度に感じるというものですが、最近本当にそれを実感する次第で、あっという間の2年でしたね。
上記の理論では、0歳時の時間感覚はほぼ無限という有り得ない事になってしまいますので、人間の時間意識がどこかの年齢時点で発生すると仮定する必要はありますが、仮に80歳まで生きられるとして、時間意識の始まりを5歳の時点としますと人生の折り返し点は20歳。始まりを3歳なら15.5歳、始まり1歳ならば8.9歳になります。久しぶりに積分使ってみたけどこれで正しいかな。いずれにしても成人前に人生の大半を消費していると言えるわけで、そりゃ時の経つのが早いのも道理です。もちろんそれだけでは無くて海外の仕事の方が細かい所ではゴタゴタとままならないのも大きいです。

さて中国は新年は旧暦・旧正月で祝います。そのため1/1といっても日本の天気予報のように「暦の上では新年ですが」の感覚でして、まったく正月感はありません。いちおう休日にはなるのですが前後は全くの平日です。今年はたまたま土日がくっついて連休になっていますけど。逆に1/1が過ぎるとようやく年末感が漂い始め、新年用のめでたそうな飾りが店頭に並んだりします。正月とは天体の運行ではなく皆が共同で作り上げている感覚なんですね。これで旧正月に日本に帰ると、私の中では正月が消えてしまうのでちょっと悲しい。

現在の仕事は、外的要因を除いて当初のミッションはほぼ予定通りに達成したと自負しており通常運営のための引き継ぎ作業は進めているのですが、宮仕えの悲しさよ、いつ新しい仕事が降ってきてこのまま滞在延長といった事態になるのか予想できないというか私の勤め先では良くあるケースなので安心できません。仕事の質という点では日本よりも良い点もいろいろあります。組織が小さめですので本来の業務以外の調整が少なく意志決定までの時間が短縮できるとか、自分の本来の業務に集中しやすいとか。これで生活圏を日本にするためにどこでもドアがあれば最高なんですが、そもそもどこでもドアを手に入れたらそれを使って新しいビジネスをいくらでも思いつくので、ここで働いている意味もなくなりますね。

というわけで先行きよくわからない自分の身ではありますし、多くの方に不義理をして申し訳なく思っていますがなかなか再会できる機会もないまでも、昨今の技術の進歩で連絡動向確認は行えるようになっているこの状況を有り難く感謝し、大陸から皆様に新年のご挨拶とさせていただきます。本年も皆様に幸多からんことを。