体感時間

最近時間がたつのが早い。一週間などあっと言う間だ。仕事がアホみたいに忙しく,といっても何か計画して実行しているわけではなく,日々の突発事項だらけにただ対応して,その隙間を縫って本来やらねばならないとされている仕事をほんの5%ぐらい行う日々。

とはいえ,ちょっと時間ができたときにこの一週間に行った作業を振り返ってみると,意外にいろいろ行っていることに気づく。なんだかんだで一週間は大きいし,その分できることも多いのだ。

では何故こんなにあっと言う間に時間が立つのであろうか。
よく言われるのが,自分の現在の体感時間はこれまで生きてきた時間の総和と比較するから,歳を重ねるとどんどん時間が短く感じられる,というものだ。
つまりは,15歳の1分と,30歳の2分は同じ時間と感じるということ。

その説が正しいとなると,同じ時間を使っても小さい子供の時分では今の何百倍も濃い時間を過ごしていたんだなぁ,と納得はするのだが・・・分母が小さくなるにつれて体感時間の伸び方は累乗倍に大きくなる。さらに進めると産まれた瞬間は体感時間が無限大になるので,いつまでも終わらない日々が永遠に続くことになる。

そもそも経験の総和が0のスタート地点は産まれた瞬間だろうか。脳組織がある程度作られて意識というものが芽生えたその瞬間だろうか。または時間というものをなんらかの形で認識できるようになったときであろうか。

ともかく,意識が芽生えた瞬間ならばいまだ精神の他の部分は未熟なのでそう問題にはならないだろうが,もしも何かの間違いで先に認識できる精神が発生してしまった場合,未来永劫続く(と感じられる)精神の檻に閉じ込められた場合,正気は保てないのではなかろうか。

・・・とつらつらと意味なく考えてみたがSF短編の小ネタですな,こりゃ。
眉村卓あたりの作風でだれか短編でも書いてくれないものだろうか。